オレ流好き・嫌い
嫌い スネオの親
| これは生粋の庶民であるオレの、「裕福な人々」に対するひがみといわれたらそれまでなのだが、ちょっと書いてみたいと思う。
ほとんどの社員は少ない給料をやりくりして家や車のローンを払ったり、子どもを養育したりしている。長引く不況のあおりを受け、収入は目減りし、生活はどんどん逼迫(ひっぱく)している。そんな状況はお構いなしに、会社の業績が悪ければドライに社員の年収を削ってしまう。 もっとこう社員を気遣った行動を少しは見せてもらいたいのだが、その気配もない。甘い考えなのかもしれないが。問題なのは社長と社員の、生活レベルの違いによる意識のズレなのだ。
そのために社長は「庶民感覚」を体得する機会を得られなかった。この「庶民感覚」というものは、世の中の大半が庶民で占められている以上、非常に大事なものだとオレは思う。その意識の違いのために、他人の反感を得てしまったり、経営者ならば社員に嫌われてしまったりと、本人の気づかないところで評判を落としかねないのである。 ではその「庶民感覚」を得る機会を奪っているのは誰なのか。それがタイトルの「スネオの親」なのである(長かった!)。
これでは「庶民の感覚」が育ちようがない。何をもって「裕福」か、「庶民」かと定義づけるのは非常に難しいが、ここでは便宜的に「裕福」を「スネオのような家庭」、「庶民」を「のび太のような家庭」とイメージしてほしい。スネオの家庭にはおそらく冷蔵庫に常に「ジュース」や「メロン」が入っているだろう。のび太の家では、おそらく何かの記念日や、親のご褒美でもないかぎり、そんなものは入っていやしまい。
つまり同じものを手に入れるにしても、苦労して手に入れたのび太のほうが努力する心を学べるし、苦労したからこそ、他人に対する思いやりも生まれると思うのだ。ただ与えられるだけのスネオでは、この感覚は学べないのである。 ただこの場合も、悪いのはスネオではない。悪いのはスネオをそういう環境においたスネオの親なのだ。だからオレはお金持ちの人に敢えていいたい。子どもに贅沢させるなと。 子どもがいないお金持ちはいいんです。どんな贅沢したって。自分で努力して稼いだお金だもん。使う権利があります。だけどもし子どもがいるならば、「庶民感覚」を植えつけるためにも、ぜひ贅沢を我慢してもらいたいんです。
そんでもって、子どもが成人したあたりで「実は金持ちだった」とカミングアウトするわけ。子どもビックリみたいな。でももう「庶民感覚」がすっかり刷り込まれてて、後戻りできないみたいな(笑)。 でもこんな想像している人って、絶対金持ちになんかなれないんだよね(笑)。やってみたいんだけどなあ。 |
|